一般的な犬のしつけの共通のイメージとしては、「スワレ」や「マテ」「フセ」などの動作を教え、命令して言うことを聞かせることではないでしょうか。そして、この「犬の訓練」とも思われている、「スワレ」や「マテ」などの動作を教えることを、正式には「服従訓練」と呼んでいます。
この服従訓練というのは、もともとヨーロッパの使役犬の訓練から生まれたものです。警察犬や盲導犬、介助犬など、人間の仕事を手伝う作業犬たちの仕事場は人間社会です。その人間社会で好き勝手な行動をしていたら、到底作業犬としての仕事はつとまりません。ですので、作業犬としての様々な訓練の前に、指示された命令に忠実に従うことができるまで、徹底的にこの服従訓練を行うという訳です。
欧米では犬のしつけのことを、「behavior(ビヘイヴィア)=行儀、振る舞い」と呼んでいます。外国人の方に、「愛犬に何を望みますか?」と質問すると、必ず 「I want my dog to be a well behavior dog.」と答えます。要は、お行儀の良い子になって欲しいということです。
ご存じの方も多いと思いますが、ヨーロッパでは、ほとんどの国が犬と一緒に電車にもバスにも乗れますし、レストランやカフェにも犬と一緒に入れます。当然、そこで犬に求められるものは、「マナー」ということになる訳です。そして、このお行儀とは、家よりも外でのお行儀の良い子を求められているので、電車やバスの中、レストランなどのどんな場所でも、お行儀が身につくまで訓練をするのです。
なんだか盲導犬の様ですね。もっとも盲導犬との違いは、段差で止まる、カーブを曲がる、障害物を避けること以外は、大きな違いはありません。欧米の犬のしつけには、あるべき姿の共通のゴールがあるのに対して、日本の犬のしつけには、それぞれの家庭の生活環境が違うので、それぞれのゴールがあり、あるべき姿の共通のゴールがないと言えるでしょう。
そんな犬との暮らしの文化も歴史も違う、ヨーロッパ式の訓練を表面だけなぞり、飼い主が「どういう目的で?」「なぜ行うのか?」ということを理解しないにもかかわらず、犬のしつけと称して教えているのは、何か「?」だと思いませんか?
現在の家庭犬のしつけは、前述した服従訓練が基盤になっているのですが、服従訓練の最大の目的とは、あくまでも特定の状況で決められた言葉に決まった動作ができるようになることと同時に、服従する精神を教えるものです。したがって、家庭という環境の中で何も問題を起こさず、調和の取れた生活を送ることを犬に教え込むものではないのです。
別の言い方をすれば、どんなに訓練をして「スワレ」や「マテ」を完璧に教えたからといって、それで自動的にお利口な犬や名犬になる訳ではありませんし、犬と心が繋がる訳でもないのです。「スワレ」や「マテ」はできるけど、無駄吠えをする犬は少なくありません。
犬が庭に鎖で繋がれ、残飯を食べさせられていた昭和のしつけと言えば、おすわり、お手、おかわりなどを教えることが犬のしつけでした。しかし、犬が庭からリビングに招かれ、「家族として一緒に暮らす」ようになった今、昭和のしつけでは役に立たないのです。犬が人間社会で暮らすということは、私達が文化も習慣も違う外国で暮らすことと同じことです。
ヒトとイヌはコミュニケーションの手段が違います。そんなコミュニケーションの手段が違うヒトとイヌが快適に暮らし理解しあうためには、コミュニケーションの取り方をお互いに学ぶことが大切なことなのです。
■しつけ=やっても良いことと、いけないことを教えること。
☞ 教える側に方法が確立されていない。
■訓練=スワレやマテなどの動作を教え、どんな場所でもできるようにすること。
☞ 日本では家ではできても、どんな場所でもできるレベルまで飼い主が教えない。